和歌の聖地「差出の磯」

「差出の磯」の由来

■万葉の景勝地 差出の磯
山梨県山梨市の中心部・笛吹川沿い万力公園の北東部、兄川・弟川の南に位置している岩山と河川。
川側から見ると差し出ており、 内陸部にありながら海辺の磯のように見える所から名付けられた。
この鎮座地の山は大きな一枚岩であり、暴れ川である笛吹川の水害を防ぐ自然の堤防の役割を果たしている。
また甲府盆地が雲海になった時には、海辺の磯の様に見えたことからも名付けられた。

この地の笛吹川はチドリの保護区で、
コチドリ・イカルチドリ・シロチドリ・イソシギの生息が確認されており、
山梨市の指定の鳥でもある。

また昭和24年に山梨日日新聞社の「観光山梨・新十景十勝」、
昭和60年に山梨県の「歴史文化公園」に選定されている。
また平成17年には「関東の富士見百景」にも選定されている。

差出の磯

「差出の磯」の著名な歌など

■多くの歌人の心を捉えた和歌の聖地
古今和歌集の「しほの山 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く」を始め、
歌枕として平安期より近代に至るまで40数首あり、
塩山の地名の由来となった「塩の山」は「差出の磯」の枕詞として、
和歌の「チドリ」といえばここを指すほど数多く詠われた。
江戸時代には松尾芭蕉、昭和初期には与謝野晶子夫妻がここを訪れ、
また歌人・文学者である窪田空穂はこの山頂からの風景を詠っている。

差出の磯
「しほのやま ゆきげのくもや はれぬらん さしでのいその 月のさやけき」(忠盛集)
「八千代とぞ 千どりなくなる しほの山 さしでのいその 跡をたづねて」(文治六年女御入内和歌)
「しほの山 さしいでの磯の 冬浪に 千とせをいのる 友ちどりかな」(後鳥羽院御集)
「なみかくる さしでのいその いはねまつ ねにあらはれて かわくまもなし」(六百番歌合)
「はま千鳥 さしでの磯に 声たてて 八千代もしるき 君が御代かな」(石清水若宮歌合正治二年)
「波さわぐ さしでのいその 岩ねまつ かたがたにのみ 袖ぬらせとや」(夫木和歌抄)
「塩の山 さしての磯の 秋の月 八千代すむへき 影そ見えける」(新後撰集賀歌)
「興津塩 さし出の磯の 浜千鳥 風寒からし 夜半に友よふ」(玉葉集)
「小夜ちとり 空にこそなけ 塩の山 さしての磯に 波やこすらん」(新千載集)
「千鳥なく しほのさしての いその松 やちよのこゑに ちよの色そふ」(夫木集)
「やちよとそ 千鳥なくなる しほの山 さしてのいそに あとをたつねて」(夫木集)
「しほの山 さして出のいその 明かたに 友よふたつの 声きこゆなり」(夫木集)
「波さはく さしいてのいその 岩ねまつ かたかたにのみ 袖ぬらせとや」(夫木集)
「なみのうへや 猶すみまさる あま小舟 さしいてのいその 秋の月かけ」(夫木集)
「更ぬるか 寒き霜夜の 月影も さし出の磯に ちとりなくなり」(草庵集)
「春の色も 今ひとしほの 山なれは 日かけさしての 磯そかすめる」(廻国雑記)
「はる日かけ さしていそくか しほの山 たるひとけとや うくひすのなく」(廻国雑記)
「冬の夜の 有明の月も しほの山 さしいてのいそに ちとりなくなり」(廻国雑記)
「こゑはみな やちよときけは しほの山 いそへのちとり ためしにそなく」(廻国雑記)
「みつしほの さしてのいそに すむ月は 千世もかきらし 久かたのそら」(廻国雑記)
「今夜こそ 月もみちけれ しほの山 さしての磯に 雲もかゝらで」(廻国雑記)
「年経とも 色はかはらし 岩がねの さし出の磯を あらふ白浪」(前大納言資季卿)
「波のうへや なをすみまさる あま小船 さし出の磯の 秋の月かげ」(民部卿為家)
「浪かくる さし出の磯の 岩ね松 ねにあらはれて かはくまもなし」(中宮大夫定房)
「今は又 川にさし出の 磯千鳥 ふりし昔の 跡をとめけり」(加茂季鷹)
「打むれて けふはさしでの 磯千鳥 みやこのつとの 一声もがな」(加茂季鷹)
「しほの山 さし出の磯の 友千とり 八千代の鳴し 昔忍ばゆ」(年徹)
「ちとり鳴 汐のさし出の 磯の松 八千代の声に ちよの色そふ」(権僧正公朝)
「塩の山 差出の磯の 山の家 たまもましりの 蜑の笘ふき」(鴨長明[方丈記])
「亀の甲 指出の磯に 散りかゝる 花をかつかぬ うろくすもなし」(為世)
「塩の山 差出の磯の しき波に 千年を祈る 友千鳥哉」
「指出の磯 さしもかしこし これはこれ かみ代になれる 塩なはの山」(可雲)
「塩の山 さし出の磯の さして来し かひありけりと しるきこのたひ」(加茂季鷹)
「ともちとり 指出の磯や 暮ぬらん 鶴の群に 鳴わたる声」(宗祇)
「七日子の 神のみつぎの よりくるや さしでの磯の 波のうねうね」(藤原隆伊朝臣)
「塩の山 差出の磯の 浜千鳥 ねたかの森に かゝる白波」(読人知不)
「満しほに ひかれても又 立かえれ さしでの磯の あまのつり舟」(源俊平)
「闇の夜や 巣をまとはして 啼千鳥」(松尾芭蕉)
「いにしへの 差出の磯を 破らじと 笛吹川の身を 曲ぐるかな」(与謝野晶子)
「兄川に ならぶ弟川 ほそぼそと 青山峡を ながれてくだる」(窪田空穂)
差出の磯 差出の磯

■国歌「君が代」と「差出の磯」

「君が代」の歌詞は古今和歌集の賀歌が原型です
「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

「差出の磯」も賀歌の、同様に長寿を祝った歌である
「しほの山 差出の磯に 住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く」

0344 「わたつみの 浜の真砂を かぞへつつ 君が千歳の あり数にせむ」
0346 「我がよはひ 君が八千代に とりそへて とどめおきては 思ひ出でにせよ」

■深沢七郎と差出の磯の「みずや」
「楢山節考」で有名な深沢七郎の作「笛吹川」に出てくるギッチョン籠は、
写真に写っている建物で川に飛び出した「みずや」がモデルとなっている。(上記写真参照)

■著名な箏曲
千鳥の曲(生田流箏曲)
吉沢検校 作曲 箏と胡弓のための楽曲

■中央線鉄道唱歌
八番:「初鹿野 塩山 高嶽寺 温泉効験いと多く差出の磯の日下部と 蛍で名高き石和町」

■和菓子と差出の磯
日本の和菓子には和歌を題材として数多く作られた中に、
江戸時代に生まれた夏の和菓子に「さしでの磯」がある
また滋賀県大津市の藤屋内匠(寛文元年1661年)創業当時からある
「汐美饅頭(しおみまんじゅう)」は、 この古今和歌集の歌から名付けられた

塩の山と差出の磯

■塩山向嶽寺
一緒に歌われている塩の山は、甲州市の向嶽寺の山号で、塩山の地名の由来はここから名付けられました。 (寺の中に秋葉神社があることで有名です)
向嶽寺  向嶽寺

向嶽寺は旧青梅街道に面しており、当神社の表参道の道沿いへと続いており、
昔から関係が深かった模様で、私の曾祖父はこの寺の住職でした
(現在でも甲州市塩山向嶽寺に墓碑があります)
また墓碑は大正15年(1926)に造られ、源正綱十二代子孫と記されおり、
年代から日光東照宮の日光杉並木街道を寄進した、
松平正綱のことだと思われます
向嶽寺墓地

街道の交差点

■青梅街道と秩父往還道
神社表参道は旧青梅街道に接しておりまた秩父往還道の交差する道でもあった。
「差出ふたまた左は青梅思案に暮れます右秩父 小原古い町花の町トコドッコイ小荷駄の鈴の音」
(差出小唄)